前日遅くまで飲んだせいで、眠くてたまりませんでしたが、当日券がまだあるようだったので、日本映画を見ることにして、午前中から出かけました。みんなは、まだ寝てるか寝起きでしたわ。
今日も2本。
Megumi(日本、オランダ) 監督 Mirjam van Veelen
My Marlon and Brand(トルコ、オランダ) 監督 Hüseyin Karabey
内容に言及しています。ネタバレ注意。
Megumi
オフィシャルホームページ
いやー、Megumiってあの、アメリカ人監督が撮ったドキュメントだと思い込んで見に行ったら、オランダ人監督の撮った違うやつでした。結論から言うと、全然よくありませんでした。
テーマは同じ横田めぐみさんの拉致問題を追ったドキュメンタリーです。しかし、監督本人が上映の前に言っていたように、「感情的で詩的」、監督の視点が強調されすぎてて、嫌味に感じました。なんたって、監督役の女優さんってのが登場するんだから、そんで、神社で絵馬書いたりすんだもん。「めぐみ、今どこにいるの?」なんつーやつをさ。演出しすぎだろう。
ストーリーテラーは馬場さん、横田さん兄弟が新潟に転校した先の校長先生だった、おじいちゃんです。この馬場さんの話がちょっとまわりくどくて聞きづらく、(また)神社でお参りをして、神社にお参りをする意味とか、めぐみさんが帰ってくるようにお願いしているのだとか、そんな説明までしてくれちゃうんです。もちろん、待っている人達の心情を描こうとしているのは分かるけれど、できた映像は外国人が見たニッポン紹介。
めぐみさん役というのも居て、校長先生の隣にたたずんだりしてました。生霊かっての。めぐみさんは下校帰りに拉致されて、その時ブレザーを着ていたというのだから、制服はブレザーなんじゃないかと思いますが、めぐみさん役は終始セーラー服。
馬場さんと監督役が向かい合ってお茶を飲んでいるシーンだとか、横田さんご夫妻が向かい合って、うな重かなんか食べてるシーンだとか、どちらも正座で真横のショット、台詞なし、全体に対して意味なし。ベストキッド3の沖縄のシーンを思いだしちゃいました。
関係者の話は泣けてしょうがないので、監督の小細工がいちいち気に触りました。上映後の質問タイムには、拉致問題の質問が中心になりました。オランダで問題提起されたことは良かったと思いますが、質問を聞いていると、基本的なこともいまいち分からなかったみたいで、それってドキュメンタリー映画としてどうなのかと思い、最後に私も質問しました。
「馬場さんが、工作員の話として、拉致されためぐみさんの様子を語っていましたが、同じ題名のアメリカ人監督が撮ったドキュメンタリーでは、安明進、本人がその話をしています。ドキュメンタリーを撮るなら、事件や真実になるべく近い立場の方を、選択するべきだと思うのですが、なぜ馬場さんを選んだのですか?」(英語)
「最初に言いましたが(ちょっと不機嫌)、目的が違うのです。」目的のことも説明してくれて、その時はふーんって聞いてたけど、細部思い出せないので、たぶん、自分勝手にセンチメンタルすぎて、聞き流してしまったものと思われます。ちなみに、安明進にもインタビューした上で、馬場さんを選択したそうです。「安明進も本当の話をしているのか、わからないしね。」と、ドキュメンタリー作家として、身も蓋も無い事言いましたよ。まあ、そういう観点なら、馬場さんの話は、馬場さんの中に像を結び、彼をくるしめているので、彼の事実である事は間違いない。
作品説明のページを読むと、最後の段落に、監督のやりたかった事が記述されてます。分かるけど、安易じゃないかなー。アメリカ映画の方が、べたべたにドキュメンタリーかもしれないけれど、結果、人々の心情が浮き彫りになった、って評をもらってるので、よけい安易に思えます。行く前にちゃんと読めばよかった。タイトルだけで、アメリカ映画だと思ったんだもの。こんな立て続けに似た映画を公開するなんて思わないじゃん。
調べてみるとアメリカ映画は2006年公開で、オランダ映画は2008年公開。5年かけたと言っていたので、撮ってる間に公開されて、やられたと思ったんだろうなー。区別化を計らなくてはならなくなって、馬場さんに語らせる事に固執したのかもしれません。馬場さんは悪くないんだけど、キャスティングとしては疑問が残ります。引き合いに出して質問するのは、悪いと思って躊躇していたんだけど、他の質問聞いてるうちに、どうも違和感が増長していったので、思い切って質問してみました。答えはやっぱり甘かったけどさ。
事件の背景を良く知っている観客(この場合は日本人)に対して、別の切り口をドキュメンタリーと称して見せてもいいけれど、正直、日本人の鑑賞に堪えるようなできじゃない。せいぜい、事件そのものにセンセーショナルな衝撃を受けるオランダ人などの拉致に関係の無い国でしか公開できませんね。
ちなみに次の作品は、めぐみさん役の子がお寺さんの子なのに、彼女自身はすごく現代っ子(死語?)なので、彼女の話を撮るつもりだと言っていました。この人は、ドキュメンタリーを借りて、マイ・ワールドを構築する人なんだと思います。そして、本人も自覚していて、ウリになるとすら思っているフシがあります。でなきゃ「感情的で詩的」なんて言わないでしょ。頼むから、ドキュメンタリーって名乗らないでください、間違って見ちゃうから。小劇場半分以下の入り。3回の上映中1回は売り切れ。
次の映画まで3時間ばかりあったので、ボイマンス美術館に行きました。美術館のカフェで、フレッシュトマトとモッツァレラチーズのバゲット(4ユーロ、660円)を食べて、館内をぶらりと回ってきました。
Museum Boijmans Van Beuningen
Museumpark 18-20
こないだ見逃したコンサートの様子が、そのまま展示されていました。壁に貼ってあるのはスコアなのかな。演奏もスピーカーで再現されていて、それぞれ、ばらばらに思える演奏が、不思議な一体感を持って、部屋を満たしていました。なんだこれ聞けるなら、一生懸命朝から並んでも良かったな。
William Engelen
‘Verstrijken Voor Ensemble’
アンサンブルの、前の?為の?休止?終了?なんかそんな意味です。
コンサート会場の手前には、Richard Serraの鉄壁と可動式高架橋の映像作品。
映画館でFrancescaと落ち合うと、彼女はまだ昨日の酒が抜けていなくて、頭痛くて大変そうでした。
My Marlon and Brand
オフィシャルホームページ
作品紹介を読み直してみたら、実話を基にしているというじゃないですか。そういやそうだったかも。たくさんある映画紹介をダーっと斜め読みしてインスピレーションで選んだからさ。その時は、イラク絡みの話、っていうのがアンテナにひっかかったのでした。
トルコの女性が、イラクにいる彼に会いにいくロードムービーでした。この女の人、めちゃくちゃじゃん、と思いながらも最後まで引き付けられたのは、実話だったからなのね。
ストーリーはトルコ人女優アイチャを中心に進みます。女優ったってブーちゃんです。イラク北部にすむクルド人俳優のハマアリは、はげたおっちゃんです。本人たちが本人たちを演じています。美男美女で撮るよりよっぽど良かったと思ったら、実話だったからなのね。
映画の撮影現場で出会って恋に落ちた二人は、トルコとイラクで遠恋をしています。ちょうどアメリカとの開戦前後の話なので、電話も通じたり通じなかったり、郵便も機能してなかったりで、ハマアリはトラックの運転手なんかに頼んで、国外から投函してもらい、せっせとビデオラブレターを送ります。映画の中でハマアリはビデオレター出演だけです。このビデオレターがあまりにも、スィートなので、おっさん浮気でもしてるのか、と思ったのは、私の心が捻じ曲がっているからで、本当にふたりはラブラブだったんでした。
彼に会えない寂しさだけでもアイチャはぶっ壊れ気味で、隣人と騒音問題を起こしたりしてるのに、バグダッドが爆撃されたってんだから、完全に壊れて、イラク行きを決めます。だって、彼はトルコに来ないって言うしさ。クルド人の出国自体も難しいでしょうが、ビデオレターで友人や町の様子(全然普通)を紹介したり、話しぶりから見ると、ひとりで逃げるような人じゃなさそうです。なんでも、イラク版スーパーマンを演じた人だって言うし。
トルコを横断して、イラク国境まで行き、国境が閉鎖されていたので、イランに行く、という道のりは、雄大な自然の中を進む、美しい映像で、バスの中の人達ものんびりしているので、イラクを目指しているアイチャが滑稽にすら感じられます。原題は直訳すると「To Go」みたいですが、英語題の「My Marlon and Brand」は、バスの中で、アイチャが書いていたラブレターの一文から取られています。ちなみに母国語が違うふたりのやりとりは英語、つたないだけにストレートで、言葉を尽くして愛を語ります。
長くて色々ある旅でしたが、移動そのものは案外スムーズだったのは、実話だったからでしょう。娯楽映画だったら、もっと事件が起きそうなもんだ。
アイチャは本当に盲目になっていて、イラン国内で、髪の毛を隠す事に無神経で注意されたり、夜ひとりで電話をかけにでかけて呆れられたり、戦争が起こっているといわれれば、イスタンブールの生活も戦争みたいなもんだと答えてみたり、自分の恋愛が世界で一番重要事項だと思っているの。恋に落ちたら、誰でもそんな気分になるだろうけど、アイチャのすごいところは戦争を目の前にしても、目が覚めない。
たまに彼と電話がつながるのだけれど、自分にさみしい思いをさせていること、自分が行くといっていたのに、相手はまだ移動してないこと(だから戦争中なんだって)、などをなじります。よくハマアリが相手してたと思う。年離れているみたいだったし、全部受け止めてた感じ。結局、ハマアリのほうからイランの田舎の村が指定されて、そこで落ち合う事になります。
ちいさな村で、明らかに異質な彼女、いつまで待っていても彼はきません。ここで、画面は彼のハンディカムに移ります。ビデオをまわしているのはハマアリ、山越えで国境を越えるところです。風景や同行の友人の紹介をして、「あと2時間くらいで着くよ」なんて、声も弾んでいます。そこに銃声がして、カメラは地面に投げ出されます。彼の名前を呼んで駆け寄る友人の画像で映画は終わります。
館内は息を呑む音があちこちからして、空気が凍りつきました。私たちも、顔を見合わせました。この時点で私たちは、実話が元だと気がついていませんでした。大き目の中劇場8、9割の入り。4回の上映中2回は売り切れ。
ちょっと趣味の悪いラストだね、くらいに思って、作品紹介を読み直したら、実話?…!そういえば、ハマアリはビデオレターの出演だけで、電話のシーンも声が入らずにアイチャが一人でしゃべってた…。ということは、あれですよね?最後のシーンもリアル、ってことですよね?うーわー、道理で説得力のある画面だったわけだ。
ハマアリがどうなったか、はっきり知りたくて、検索をかけましたが、見つかりませんでした。アラビア語ならあるのかもしれないけど、ちょっと無理。
脚本はアイチャと監督。これが実話で、それを映画にした、という彼女の精神力には、感心を通り越して、怖さすら感じます。だって、どうみてもハマアリが(たぶん)死んだのは、アイチャのせいだ。ハマアリが死んでいなくて、フセイン政権の倒れた今だからつくろうと思ったのか、死んでいて、その彼の記念碑としてつくったのか、どちらなのか気になりますが、とても強い映画なのは間違いありません。本人が本書いてて、美談になっていないのも良いと思います。
検索しててひっかかった、
トルコ映画のレビューブログ。監督にインタビューしています。もともとドキュメンタリーを撮っていたという監督の、謙虚な発言には好感が持てます。同じ日に真逆なものを見てたんだな、といまさら認識。
帰ったら、Francescaがスープの残りでいんちきリゾットを作ってくれました。味が薄くて2人してしょうゆをかけて食べました。いんちき料理の応酬です。Gemaも含めて3人は、料理苦手を公言しています。日本料理と、イタリア料理と、スペイン料理なのに、残念でした。